国税
So-net無料ブログ作成
検索選択
国税
気まぐれ連載AKB物語 ブログトップ

気まぐれ連載 AKB48物語その3 麻里子様誕生秘話 [気まぐれ連載AKB物語]

AKB48卒業生・篠田麻里子様誕生秘話その3回目です。


麻里子様のトレードマークのショートカットヘアは2009年2月25日からですが、これは
「大勢いるメンバーの中でもすぐに覚えてもらえるため」なのであるし、モデルで洋服はたくさん手に入るが「古着をアレンジして着るのが好き」というのは「流行の服は数十人いる他のメンバーと洋服がかぶらないように」という配慮なのだ。


また、麻里子は絶対に脚を組んで座らないが「周りの人に”人気があって天狗になってるんじゃないの”と思われるのが嫌なんです」というわけである。

IMG_8479.jpg


「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。あきらめなければ夢は叶うんだ」(高橋みなみ)



★2008年7月31日、SKEのオープニングメンバーのオーディションで秋元康は「絶対スターになる!すごい原石を見つけた」と興奮してAKB劇場に電話してきた。それが、当時11歳の松井珠理奈である。



珠理奈のスター性に勝負をかけた秋元は、まだSKEの研究生である珠理奈を、AKBの勝負曲「大声ダイヤモンド」のセンターに抜擢したのだ。

ucvz2gGvlq1qif50ldJ3vMmDo1_400.jpg


自分の夢とはいえ、11歳の少女がいきなり東京に連れてこられて年上のAKBメンバーの中に入れられるのである。しかも、誰もが憧れるセンターに置かれるのである。


しかし、当時珠理奈はSKEの公演と「大声ダイヤモンド」の選抜メンバーに掛け持ちしており、東京と名古屋の往復でなかなか練習に参加できずにメンバーの足を引っ張っていた。

「私が未熟なせいでみんなが迷惑していると思ったら、申し訳なくて、悔しくて。もうだめかも・・・と思ったとき、麻里子さまが無言で背中をポンと叩いてくれたんですよ。
その瞬間、こわばっていた私の背中が軽くなって頑張ることができた。あの”ポン”がなかったら、今ここにいなかったかも」


当時11歳と22歳、自分が変に気を使ったら余計に嫌な思いをさせるかもしれない。それに私が声をかけても珠理奈が応えてくれるとは限らない。


そんな時、母の言葉を思い出しました。「見返りを求めるなら、やらないほうがいい。人にやさしくするときは、自分のためじゃなくその人のためにやりたいからやるんだと思いなさい」と。

私はその言葉に推されるよう珠理奈に声をかけました。「珠理奈が来てくれてうれしいよ」まるで、あの日の自分に語りかけるように・・・。ただ、純粋に私がそうしたいと思えたから。

シングル「大声ダイヤモンド」の写真では珠理奈が一人で叫んでいる写真が使われているが、実はこう叫んでいたのである。


41MHUZ4C6HL__SS500_.jpg




珠理奈は麻里子が大好きなのである。

見返りを求めない優しさを、無償の愛という。

そう、母親がわが子に注ぐ愛情が、見返りを求めない愛情である。

麻里子さまの優しさは「AKB48の母」なのだ。。。。

4-c5175.jpg


とりあえずここで、「篠田麻里子誕生秘話編」を終了します。

次回はまた別のお話を・・・・

IMG_4708.jpg



















タグ:松井珠理奈

気まぐれ 連載 AKB48物語その2 麻里子様誕生秘話 [気まぐれ連載AKB物語]

AKB48卒業生・篠田麻里子様誕生秘話その2回目です。


★「しょっちゅうカフェに行って話しかけていましたね」

アイドルオタクの通称ばか師匠はAKB劇場に入らずに、麻里子のいた隣のカフェに入り浸っていた。

「で、彼女の名前をアンケートに書いて帰っていました。そしたらある日その子が、”もし私が中に入ったら、見に来てくれますか”って・・・」

「当然だよ!君が入ったら絶対見るよ!!って。で、しばらくしたら彼女がカフェを風邪で休みって話でいなくって・・・。ある日曜日にもいなくて、帰ろうと駅まで行ったら知り合いから電話があって

“麻里子で出るよ”と。風邪で休んでるからそんなはずないって、あわてて劇場に戻ったら、当時はまだ満員になっていなくて公演中でも入ったらちょうどアンコールのところだったんですよ」

それから師匠は毎朝4時に劇場に並んで1番チケット取って最前列のセンターで見ていた。「歌う彼女を見ながらいつも泣いていましたね。うれし泣きです」

o0800053211871233161.jpg

「僕は結構前から、応援する女の子には”様”を付けるんです。”麻里子様”って僕が最初だと思います」


★2005年12月8日から始まったAKB48劇場でのサプライズの第一弾となったのが、カフェっ娘・篠田麻里子の正規メンバー入りである。

「ある日お店でアイスクリームを作っていたら、秋元さんと関係者の方がいきなり入ってきて、”4日後にステージに立ってもらうから、12曲覚えてください。それがAKBに入る条件です”って」

71613298.jpg

「あのときは死ぬ気でしたね。1日目は嬉しかったんですけど、ビデオを見てやってみるとありえないくらい難しくて・・・。しかも、先生が2日間しかつかなくて、メンバーにも内緒でステージに立つから時間を調整してもらってレッスンしてもらいました。4日目は全員で合わせるために実質3日間でした。正直、寝なかったですね」

こうして他のメンバーが一カ月以上かかって覚えた歌と踊りを、死に物狂いで4日間で覚えた麻里子は2006年1月22日、ステージに立つことになるのである。

だが、オーディションで落ちたにもかかわらず、メンバーとして昇格させられたことは他のメンバーからは少なからず良く思われていなかった。

”オーディションで落ちた子でしょ”みたいな雰囲気を生んでしまい、同年代のメンバーとは壁ができてしまったのだ。



「私だけどうして後から入っちゃったんだろう・・・」

e6af94c9.jpg


1.5期生とか呼ばれる麻里子はメンバーとなじめずにいたが、当時13歳の高橋みなみと14歳の前田敦子は気軽に話しかけてくれて、少しずつ打ち解けられるようになるのだった。

「二人には助けられましたね。最初に助けられたって気持ちが強くて”何かしてあげたい”って気持ちがすごい強くて、二人にはライバルと言うよりも恩師的な感情ですね」

1-3112f.jpg

実はこの二人に会ったことから、この二人に助けられたことから、麻里子はAKB48での自分の役割を決めたのではないかと思われる。

10-faea0.jpg

★AKBメンバーと言っても当時はメジャーデビューしているわけではなく、給料はもらえなかった。

「カフェっ娘時代は時給800円の12時間労働で、休みもほとんどなかったからまだ収入がありました。AKBに入ってからはレッスンと公演だけで忙しくて。バイトする時間もないし、収入がなくて正直ご飯すらまともに食べられない時期もありましたね。地方出身のメンバーはみんなそう。だから、なんでこの仕事をやっているんだろう?って思っていました」

1d90f8aa.jpg



芸能界入って多少がんばれば売れるんじゃないかという甘い考えだった。しかし、デビューもできない状況に不安は大きくなってきた。結局、友達の家にいつまでも居候するわけにもいかず、親に泣きついてアパートを借り、家賃分だけ出してもらっていた。だが、収入はなく相変わらずギリギリの生活だった。

「忘れられないのがAKB一年目のクリスマスイブ。夜、疲れて帰ってきて、シャワーを浴びようと裸になって蛇口をひねったのに、いつまでたっても水しか出てこない。料金の未払いでガスが止まってたんですよ。近くに銭湯もなかったから、朝まで待ってコンビニに支払いに行きました」


それでも諦めなかったのは「自分で決めて出てきたんだから、簡単に福岡には帰れない。親のためにも自分のためにも負けたくなかったんです。自分の判断を信じたかったんです」

0437598a.jpg


最初はガラガラだった劇場も混雑し始め、2006年2月にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー、同年10月シングル「会いたかった」でメジャーデビュー出来てからは状況も変わってきた。


「それでも地方の子はみんなぎりぎりだったし、私も両親から仕送りを止められそうでした。それで2年目にはAKBの本部に家賃を出してもらえるように直談判に行ったんです」

会社の反応は温かく、地方出身者にマンションを借りてくれた。「1Kの小さな部屋でしたけど、住む場所の心配がなくなったのはありがたかったですね」

83f0b225.jpg



麻里子の高いプロ意識はここから始まった。

芸能界は人気商売、見られてナンボ。外見もオーラも個性も内面も輝いていて、初めて人から支持され、あこがれる存在になれるのだ。

「モアのオーディションに受かって、想像以上に難しいなと思いました。苦手な洋服も着こなさなきゃいけないし、洋服を主役にして見せなきゃならない。でも、うまくできないからこそ楽しくもあって毎月、ほとんどの雑誌を買って研究していました。タレントと違ってモデルは撮影現場では一番下の立場だと思うんですよね。余計な自我を持たず、みんなの意図をくんで洋服を引き立たせて見せることそういう謙虚な姿勢を学べたのも良かったなって思う」

9vuui.jpg

★オープニングメンバーオーディションの応募数7924名中、最終審査(2005年10月30日):合格者24名の中には入れなかったが、夢をあきらめずに、たった4日間で12曲を覚えてAKB正規メンバーの座を勝ち取った麻里子。数々の苦労があって現在の位置があるのだ。

76376d21.jpg

麻里子の高いプロ意識はモアのモデル時代に培われたのだと思う。

AKB以外の活動で自分の力量を客観的に見つめて、自分に足りないものやAKBメンバーに

伝えなければならないことなどを吸収していくのだった。



そして、2008年、夏。

今となっては「48グループを救うことになる」出来事が起こる。


つづく。。。。


a5653140.jpg




















j

気まぐれ 連載 AKB48物語その1 麻里子様誕生秘話 [気まぐれ連載AKB物語]

AKB48卒業生・篠田麻里子さんのメンバー時代のエピソードなどを綴ってみました。




2011年6月9日、日本武道館での第三回選抜総選挙。トップ争いは予想通り前回一位の大島優子と前回二位の前田敦子の戦いとなった。


MVI_0001.AVI_001268020.jpg

結果は周知の通り前田敦子の一位返り咲きである。この選挙では一位から四十位までの得票数が発表されるが、四十位以上の総得票数1.081.332票の内一位が12.9%,二位が11.4%であった。

三位の柏木由紀が6.9%,四位の篠田麻里子が5.6%であることからトップ争いは熾烈であった・・・。


選挙の開放速報では優子が一位だった。2010年、総選挙で一位を取って発売した「ヘビーローテーション」は優子の元気のイメージそのままに日本中で大ヒットした。

当然今回も一位を狙っていた。しかし、結果は・・・。このとき優子は誰ともしゃべりたくなかった。また、この気持ちをどうしていいのかわからなかった。

MVI_0001.AVI_001279687.jpg

MVI_0001.AVI_001284153.jpg


そんな優子を見て、周りのメンバーもスタッフも声をかける者はいなかった。


「優子・・・。」

そんな時、ひとりの女性が優子に近づいてきて声をかけた。篠田麻里子だった。小嶋陽菜も一緒だった。

MVI_0001.AVI_001290020.jpg

最初は強がって変顔していた優子だったが、麻里子に優しく背中を抱かれて、ついに泣き崩れる。



MVI_0001.AVI_001287720.jpg



そんな優子の肩を優しく抱きしめ、一緒に泣いてあげる麻里子と陽菜。

MVI_0001.AVI_001295087.jpg



そして「2位はすごいよ。年齢の割に良く頑張ってるよ」と麻里子らしい言葉で励ましてくれた。

同じ仲間の中で勝者と敗者を生んでしまう選抜総選挙という仕組み。

MVI_0001.AVI_001291753.jpg

この時、篠田麻里子25歳 メンバー最年長である。


なぜ、篠田はメンバーから「麻里子様」と呼ばれるのか。

それは、心からの気配り・「心配り」ができる人だからである。

499067716.jpg



●麻里子は1986年3月11日、周りを山や田んぼに囲まれた福岡県のとある町で生まれた。公務員の父と専業主婦の母、一つ上に兄がいた。

「太陽が出ているうちは外にいないともったいない感覚があって・・・かなりの野性児でしたね」「興味のあることは自分で試さないと気が済まないたちなんですよ。だから、

子供のころは習い事を14個くらいやらせてもらいました。新体操・そろばん・公文式・水泳・バレエ・バイオリン・剣道・ピアノ・・・結果的にあの頃の習い事は一つも続かなかったけど

直感に従う勇気ややりたいことに挑戦してみる行動力は身についたと思います」

「中学校時代は転校が多くて人見知りでしたね。でも、高校はすごく楽しかったです。男子も女子も仲が良くて、私は体育祭でチアリーディングしたり、踊ることってすごく好きだなって思ったし、人前に出ることの快感を覚えたのかも。目立つのが好きだなって気づきました」


●高校卒業後、大好きなファッションの仕事をしようと専門学校に入学を決めた。一方、芸能界へのあこがれも抱き続けており、二十歳前に一度は挑戦しようと受けたのがAKB48オープニングメンバーのオーディションだった。

805b7ff7.jpg


「実は、小学校時代に東京買い物に来た時、スカウトされたことがあるんです。その時は両親に大反対されてあきらめたけど。二十歳になるまでに一度くらいは挑戦してもいいかなって受けたのがAKB48のオーディションなんです」

しかし、2005年10月30日のオーディション最終日。麻里子は最終審査まで進んだものの、合格者として番号を呼ばれなかった。当時19歳である。

「正直、絶対受かるって思っていました。だって、隣のゆかりん(佐藤由加理SDN)は田舎っぽかったし、その隣の高みなは今よりも老けていて何歳なんだろうって思っていました(笑)

だから私は絶対受かるって思ってたんですけど、名前が呼ばれなくて・・・えっ、意味分かんない!!って。ショック過ぎてポーっとしながら帰ろうとしていたら、劇場支配人に劇場隣でグッズや飲み物を出すカフェでバイトしませんかと言われたんです。落ちて悔しい気持が大きかったから、やります!と言いました」


cf1a54ff-s.jpg

●実は身長が高すぎて他のメンバーと釣り合いが取れないために落とされたのだ。
麻里子はせっかく上京したんだからしばらく働いてチャンスを探してみようと、先に上京した女友達のアパートに転がり込んだ。

「ところが、治安のあんまり良くないところで、家賃3万円のおんぼろアパートの1階の6畳1Kでした。いろいろ怖い思いもしたけど友達と二人で布団を並べて寝ていました。ショップではチラシ配りをしたり、お客さんに飲み物を出したり、グッズを売ったりする毎日でしたね」

一方で合格したメンバー20人は11月から本格的に歌と踊りを習い、12月8日からAKB48劇場で毎日公演を続けていた。
当時はまだAKBの方向性が決まっておらず、その日の公演で目立っていたメンバーを投票用紙に名前を記入する「人気投票」などもやっていた。

★ここで、一人のアイドル馬鹿が登場する。ばか師匠と呼ばれるその人のアイドル遍歴の最初は、堀ちえみ・浅香唯・中村由真らの80年代後半からであるから筋金入りである。
この、ばか師匠にとってアイドルとは「会いに行ける人」なのだ。インターネットでAKBのことを知った師匠は劇場がオープンして一カ月後の2006年1月9日、初めて劇場に足を運ぶ。

84b6e124.jpg

「誰かかわいい子がいないかな~って、ポスター見たんですがいなかったんですよね。でも、カフェにすごいかわいい子がいたんですよ。劇場に入らなくてもカフェに来ればこの子に会えるなって通うことにしました(笑)」

「それから毎日友達とカフェに通いました。その子にしょっちゅう話しかけて・・・楽しかったです。で、その子の名前を投票用紙に書いてきました」

↑この、ばか師匠と呼ばれるアイドヲタクの行動がのちのAKB篠田麻里子を作り上げるのである・・・。だが、この話は次回へつづく。




若いころのグラビア撮影風景

注・ばか師匠とは:アイドルヲタ歴27年。ヲタレントとして在京キー局全局に出演経験あり。身長182cm体重93kg。好物は炭水化物。


545301346.png


気まぐれに続きます。。。。






























気まぐれ連載AKB物語 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。